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アルベール・カミュ
2009年02月03日

9. 僕は煙草を二本吸って、チョコレートをひと切れとりにもどって、また窓のそばにきて食べた。
                                  ------- ムルソオ

2005年6月に、心臓の難病で死亡した作家倉橋由美子が青春時代に熱愛した書物がアルベール・カミュやフランツ・カフカだったと69年に発表したエッセイで書いています。

「わたし自身にも青春ということばと結びつくような何冊かの本があって、たとえばカミュの『異邦人』やカフカの作品・・・」だと。

冒頭に掲げたのはその『異邦人』の一節です。

『異邦人』が初めて翻訳紹介されたのは昭和26(1951)年のことです(窪田啓作訳/新潮社刊)。カミュの作品は前年の25年に『ペスト』が宮崎嶺雄の訳で創元社から出版されており、サルトルやカフカの作品とともに、若い世代に大きな影響を及ぼし始めていました。『異邦人』が昭和26年6月に雑誌「新潮」に発表されると直後に東京新聞紙上で広津和郎が批判を開始します(6月12~14日同紙)。広津の批判は『異邦人』の主人公ムルソウの言動について、「心理実験室での遊戯にすぎない」というものでした。

これに対して評論家中村光夫は、ムルソウが何事につけ「何の意味もない」とつぶやくことや殺人の動機を訊ねられて「太陽のせいだ」と答える“不条理な感性”には、切実な現代的リアリティがあると反論します。これが文学史上に記憶される“異邦人論争”ですが、翻訳出版されたものから、あるいは原著に直接接触することによってヨーロッパの新しい文学の波に影響された若い世代が、作家として新しい文学世界を次々に切り開いていきます。

非常に観念的でありながら、奇妙に生なましいリアリティを持つ倉橋由美子の諸作品もまたその好例だといえるでしょう。

さて冒頭の一節---。養老院からの「ハハウエシス」の電報で勤務先から2日間の休暇をもらったムルソウは、アルジェから80kmのマランゴにバスで行き、あふれる太陽の下でなんとか葬儀をすませもどってきます。翌日は土曜日で、海水浴に出かけたムルソウは元同僚だったマリーと再会、一夜を共にします。1人で目覚めた彼は昼食のあと、寝室のバルコニーに椅子をすえ、そこにすわって暗くなるまで、場末の大通りを眺めて半日を過ごします。冒頭の一節はその間にムルソウがバルコニーをたった1度離れたときの理由です。

以後の数週間後にアラビア人に5発のピストルの弾丸を撃ち込んで殺してしまうまでのムルソウの日常が、細部にわたって煩瑣なまでに叙述されてストーリーはつづきます。

やがて法廷で死刑を宣告されるムルソウの物語は、旧い体制・秩序の中で意識できないうちに“異邦人”となってしまった、ごくありふれた平凡な若者の物語で、まさに50年代の日本の若者の物語でもあったのです。

カミュは1960年、自動車事故で死亡します。47歳でした。アルジェリアの貧困家庭に生まれ、給費生として大学を出ました。評論に『シシュフォスの神話』『反抗的人間』があります。


《参考》『わたしのなかのかれへ』 倉橋由美子/講談社
 『戦後日本文学年表---現代の文学別巻』 講談社


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