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ビートたけし
2009年06月24日


17. 「ただのチョコレートじゃないぞ。食べれば必ず運動会に勝つっていう有難いチョコレートだ」

-------  「ドテラのチャンピオン」 ビートたけし


映画監督として国際映画祭で最高の栄誉に輝き、高い評価を受けている北野武=ビートたけしは、いくつものベストセラーをもつ物書きでもあります。とりわけ彼の書く小説には、上質の人情噺のような味があります。「ドテラのチャンピオン」は『少年』というタイトルでまとめられた3本の短編小説のうちの1本です。

お互いに30歳をすぎ家庭をもったマモルと兄真一の兄弟が2年ぶりに四谷の小料理屋でお酒を飲みます。40歳を過ぎた真一は髪が薄くなっていて、広くなった額に生来の穏やかな性格の雰囲気をただよわせています。その真一が「マモル、コレやってるかい?」のゴルフクラブを握る身ぶりをしてみせます。真一は子供のころからスポーツ大嫌い、オール5の通信簿で唯一体育だけが2、それも先生のお情けで本当は(1)を2とつけてもらっているのです。

この真一のイメージはビートたけしの実兄、北野大教授の面影と重なります。マモルは兄とゴルフ談義をしながら30年近く前の小学生の頃のことを思い出します。

思い出していたのは運動会のときのことで、マモルにとって「運動会は年に1度の自分の本領発揮の舞台だった」のです。

運動会前日、マモルと同じクラス対抗のリレーの選手のユタカ、仲のいいケンジやトオルたちと下校中、ケンジの誘いに乗って4人は“オクメババア”の店に寄ります。「駄菓子、あてもの、メンコ、ベーゴマなどが三畳ほどの店にちょこまか並べられている」というそんな店です。昭和の30年代が終わるころまで、東京の下町には(東京ばかりでなく日本全国のどこの町にも)子供の集まる狭っ苦しいこんな駄菓子屋があったと思います。そんな店が消えていったのは昭和39年の東京オリンピックとその後の都市の再開発の影響です。

マモルたちが店の壁に貼ってある長嶋や川上の写真を見てワイワイ言ってると、オクメバアサンが声をかけます。

「あんたたち、明日は運動会だろ、これ、買え」

「な、何だよ。それ」

「チョコレートだ。だけど、ただのチョコレートじゃないぞ。食べれば必ず運動会に勝つっていう有難いチョコレートだ」

「ウソだぁ」といいながら結局マモルたち4人はオクメババアのさし出すそれを買います。茶色の紙と銀紙に包まれた明治の板チョコと違って、それはマモルたちには読めない漢字の書かれた赤い紙に包まれていました。

1コ20円。

その夜、母親が用意してくれた新品の白パンツに白い半袖シャツ、はだし足袋、赤白のハチマキ、それにオクメババアのチョコレートを枕元にそろえて寝たマモルは翌朝、浮かない顔でぐずぐずしている兄の膝横にも、あのオクメババアのチョコレートが置かれているのを見つけます。

さて、運動会。チョコレートのおかげか、マモルとユタカは首尾よく1位、ノートと賞状をもらいます。1年から5年まで、ずーっとビリだった真一兄ちゃんはどうだったか・・・?


《参考》 『少年』 ビートたけし/新潮文庫(原本は昭和62年、太田出版より刊行された)
   


食の大正・昭和史 第三十一回
2009年06月24日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第三十一回

                              月守 晋


●手間をかけていた家庭料理(2)

野鳥食については中江百合『季節を料理する』(昭和41年/旺文社文庫)でも取り上げられている。

この本の著者は略歴によれば明治25年の生まれ、16歳で中江家に嫁ぎ料理研究を始めた、とある。

初版本は『日本料理十二か月』のタイトルで昭和34年、東京創元社から刊行されている。

この本では「2月の献立」として「雀(すずめ)のたたき煮」、「四季の一品 冬の一品料理」として「鶉(うずら)のたたき」が紹介されている。

「雀のたたき煮」の材料は、

 ・雀10羽  ・だし カップ4分の3  ・砂糖 大さじ1~2  ・醤油 大さじ2 
 ・大根おろし カップ1と2分の1  ・長ネギ 2本

料理法は雀の羽根をきれいにむしり、残った毛を焼き取り、腹の下からはさみを入れて断ち、臓物を取り出す。食べられる部位(肝など)と食べられない部位を分け、食べられる内臓、骨つき肉を庖丁でよくよく叩いて指先でさわってもざらつかないほどに叩いたら、ひと口大の団子に丸めて煮立たせただしに放り込む。よく火が通ったら砂糖、醤油を加えてひと煮立ちさせ、大根おろしを加えてさらにひと煮立ちさせて火を止める。これを大根おろしも煮汁も共に深鉢に取り、上から6センチに切ったさらしねぎをふりかける。

「鶉のたたき」のほうは、丸々1羽の鶉が材料だ。雀と同じように処理したものをよく叩いて、3分1を残し、3分の2をから炒(い)りし、残した生の3分の1と混ぜ、これをぬれ布巾の上でかまぼこ型にまとめ、強火で
40分蒸してできあがり。

かまぼこ型にまとめず、いきなり団子に丸めてだし汁で煮てもよく、これは“鶉の丸(がん)”と呼び最上の椀種になる、とある。

『食いしん坊』という食べ物随筆がよく知られている作家・小島政二郎に『舌の散歩』という著作がある(昭和34年6月~11月「サンデー毎日」連載)が、これには太平洋戦争前の名古屋の腰掛け飲み屋「大甚(だいじん)」のメニューが紹介されていて、その30品ばかりの品数の中に“焼き鳥(スズメ)”が入っている。

筆者が学生の頃、昭和30年代の初めの頃にも東京新宿の紀之国屋書店の裏通りに、雀の丸焼きの焼き鳥を酒の肴に出す店があった。学生の身分には高価な店だったのでついぞ入る機会はなかったが、スズメやツグミなどの野鳥を、たぶん特別の許可を取って出していたのだろう。卒業する頃には店はなくなってしまっていたと記憶する。

こうした少ない例をあげても、野鳥を食べる食習慣は全国的にあったと思えるのだがしかし、神戸市をふくむ兵庫県全域を見ても、野鳥食があったかどうかは分明ではない。

『伝承写真館 日本の食文化⑧近畿』(農山漁村文化協会発行)の「兵庫の食とその背景」に紹介されている「兵庫の食を支える農畜産業」の節の「風土性による調査地域の特徴(昭和初期)」の一覧表中で、「野の幸・山の幸」として播磨山地の覧で“野うさぎ、蜂の子”があげられている。

兵庫県は北は但馬海岸が日本海に向き合い、南は瀬戸内海を抱いていて豊かな多種多様の魚介類に恵まれている。そのうえ三田(さんだ)牛、但馬牛などの肥育牛、いわゆる“神戸ビーフ”の産地でもある。

わざわざ雀や鶉などの野生の小鳥を食用に捕えようなどという考えははたらかなかったのかもしれない。


食の大正・昭和史 第三十回
2009年06月17日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第三十回

                              月守 晋


●手間をかけていた家庭料理
『趣味と実用の日本料理』を読んでいると、大正時代の家庭の主婦は日々の食事の支度にたいへんな時間と手間をかけていたんだな、ということがわかる。

お客を迎えてのちょっとあらたまった季節ごとの献立にしても、家族に食べさせる日々のお惣菜にしても、下ごしらえから始めて食卓に上せるまで手間を惜しまず時間をかけて1品1品をととのえなくてはならない。

1例をあげると「2月のお惣菜」で取り上げられている「鎗烏賊(やりいか)けんちん蒸し」では、

 ①水洗いしたヤリイカの足を抜き、残った袋の部分に両面から針で数十か所穴をあける
 ②穴をあけたイカの袋を醤油に漬けておく(約20分)
 ③豆腐をにえ湯でさっとゆで味噌濾(こ)しに入れて水気を切る
 ④人参、しいたけ、みつ葉、つぶしぎんなん、麻の実を細かくきざみ、③と共に煮る
 ⑤④がぶつぶつ煮えたら味りん少々、砂糖、醤油で少し辛めに煮上げる
 ⑥⑤の汁を切り、玉子を割り入れて手早く混ぜ、少々冷ます
 ⑦⑥を①のイカの袋に詰め、袋の口を糸で縫って蒸籠(せいろ)で10分間むす
 ⑧蒸したイカを冷まし輪切りにして皿に

この料理書には材料についても、調味料についてもいっさい分量が示されていない。材料の分量は家族の人数に合わせて適宜に準備しろ、ということだろうし、調味料の量も家族の舌に合わせて加減してくださいということなのだろう。

しかし、イカを自分でさばいて下味をつけ豆腐と野菜の具を詰めて蒸すという手間を、いまどきのたいていの主婦はたぶんかけないだろう。似たようなものがスーパーの総菜コーナーなどで容易に手に入る。

さらに時代の変化を感じさせるのは、この料理書にはひんぱんに蒸籠、すり鉢、裏ごしが使われるということである。ゴマひとつとっても、この頃は主婦がすり鉢を使って用意していたものが、現在はいりゴマからペーストまで既成品のびん詰で容易に手に入る。

1947(昭和22)年に狩猟法が改正されてカスミ網の使用が禁止されると、江戸期以来つづいていた野生の小鳥を食う習慣が徐々に消えていった。

しかし志津さんが少女だった大正時代にはまだ野生の小鳥、スズメやウズラなどがふつうに家庭でも料理されて食べられていた。

『趣味と実用の日本料理』にも小鳥料理が取り入れられていて、「12月の献立」の中に「小鳥大根」が紹介されている。12月は秋の穀物の実りの時期にたっぷりと食べて肥え太った小鳥が、容易に入手できたからだろう。

肉屋で入手したその小鳥を、大正の主婦は自分でさばいて料理し、食膳に上ぼせた。「小鳥を普通にこしらえ、すねなどは骨つきのまま、胸は二つ割にしておき・・・・・・・」と説明してある。

「小鳥のこしらへ方」と小見出しを立てた解説文では、

「まづ足の先を、肉にかからぬように庖丁し、そっと疵(きず)を入れてまるく切り(両方とも)、胸にも一本庖丁を入れ、羽がいは二番目のふしから切り捨てます。足の先から倒(さか)さに皮をむき(小鳥は羽をむしるのではなく、皮をむいてしまうのです。綺麗(きれい)にむけます)云々・・・・」(原文のまま)

と処理法を丁寧に説明してある。しかし平成20年の主婦にはとても無理かもしれない。


向田邦子
2009年06月10日

16. 「子供の頃、一番豪華なお八つは、動物チョコレートだった。」

-------  「お取替え」 向田邦子


「寺内貫太郎一家」「七人の孫」「阿修羅のごとく」など高い視聴率を誇る人気テレビドラマの脚本家であった向田邦子は優れたエッセイストでもあり、短編小説の名手でもありました。

週刊文春に連載されたエッセイ「無名仮名人名簿」は、毎週、楽しみに待つという読者の多かった名エッセイでした。

掲出したのはそのうちの1編「お取替え」の中のもので、近所の洋装店で出会った“お取替え事件”の後につづきます。

洋装店での話は月曜日のことで、買物籠片手の中年主婦が土曜日に買って行ったワンピースを別のドレスと強引に取替えて行く。店の主人は「計画的犯行だもんね。たち、悪いよ」と嘆きます。事情がのみ込めずにいると主人が謎ときをしてみせます。つまり、「土曜の夕方、翌日曜に着てゆく外出用のドレスを買う。1回だけ着て月曜日にはそれをちょいちょい着と取替える」のだと。「4月はクラス会だ、子供のピアノだって出る用が多いんだよ」と。

自身では“取替え作戦”を実行したことのない向田は考えます。いったん自分のものにしたものを取替えることに罪悪感を感じるのは、子供の頃の家の教育に原因しているらしいと思い到ります。

来客からいただき物の豪華な動物チョコレートは大きな箱に入っていて、これをいただくと父親は子供たちの前に箱を置き、長男の弟、長女の邦子と順番にひとつずつ取らせます。一番大きなゾウにするか、それとも犬、ウサギにするか、子供たちは迷います。欲張って一番大きなゾウに手を出すと、これが中ががらんどうでがっかりしなくてはならない。こんなとき、子供がどんなに泣いても父親は取替えを認めてくれません。「お前はいま、摑んだじゃないか。文句を言うんなら自分の手に言え」

向田邦子は1980年、初の短編小説「花の名前」「かわうそ」「犬小屋」で第83回直木賞を受賞します。受賞発表の記者会見で、選考委員の山口瞳が「何十年も書いている私なんかよりよっぽど上手いんだからイヤになっちゃう」とボヤき、さらなる話題になりました。

小説家として活躍していくはずだった向田邦子は81年8月22日、台湾の台北発高尾行き遼東航空103便の墜落事故で亡くなります。83年4月に創刊された“フォト・マガジン”「シャッター」には凄惨な彼女の遺体写真が掲載され、論議を呼びました。現在なら“死者のプライバシーと尊厳”を尊重すべきだ、と指弾されるはずです。


《参考》 『無名仮名人名簿』 向田邦子/文春文庫
    『向田邦子・家族のいる風景』 平原日出夫編著/実践女子大学+同短期大学
公開市民講座/清流出版


食の大正・昭和史 第二十九回
2009年06月10日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第二十九回

                              月守 晋


●家庭料理の食材
『趣味と実用の日本料理』(大正14年婦人之友社刊/婦人之友料理叢書第1篇/水町たづ子著)にはどんな食材が使われているだろうか。

<魚介類>
●魚類  タイ(小ダイ)、マグロ、ボラ、サヨリ、コイ、ブリ、サワラ、マイカ、サバ、アジ、キス、スズキ、アナゴ、クロダイ、アユ、マス、サケ、イボダイ、タラ、アマダイ、ヒラメ、ヤリイカ、タコ、ホウボウ、シラウオ、イサキ、カレイ、カツオ、コチ、イワシ、ドジョウ、フナ、カズノコ、タラコ

●貝・甲殻類  サザエ、ウニ、アワビ、クルマエビ、イセエビ、ナマコ、カキ、タイラガイ、トコブシ、ハマグリ、ムキミ(アサリか?)、トリガイ、ミルガイ、シバエビ、カキ、カイバシラ

<野菜類>
●葉物  ホウレンソウ、花ナ、ヨメナ、ツルナ、コマツナ、キャベツ、ミツバ、ネギ、タマネギ、ワケ
ギ、トウナ、ウド

●根菜  ダイコン、ニンジン、ヤマイモ、クワイ、ナガイモ、ショウガ、ゴボウ、カブ、コカブ、ハス、
サトイモ、ヤツガシラ、ジネンジョ、ツクイモ、サツマイモ、タマネギ

●生り物  キュウリ、ナス、カボチャ、ウリ、ユウガオ、エンドウ、エダマメ、トウガン

●山菜・きのこ類  シイタケ、フキ(フキノトウ)、ワラビ、ゼンマイ、ツクシ、タケノコ、ジュンサイ、
キクラゲ、ユリネ、マツタケ、シソ(シソノ実)、タデ、クズ、ミョウガ、ユズ、キク、ダイダイ、皮茸(こう
たけ)、ムカゴ

●乾物  アズキ、(白、黒)ゴマ、ソバ、クズ、クロマメ、コンブ、新粉、ケシノ実、トウガラシ、カンテ
ン、スルメ、ギンナン、干しカズノコ、クルミ、青ノリ、水前寺ノリ、シロインゲン、カツオブシ、松葉コ
ンブ、コウヤドウフ、麻ノ実、ユバ、ソラマメ、ダイズ、ズイキ、アラメ、干しシイタケ、干しアユ、浅草
ノリ、ゴマメ

●半製品  トウフ、コンニャク、アブラアゲ、卯ノ花(オカラ)、カマボコ、焼キフ

●肉類  豚肉、牛肉、鶏肉、小鳥肉、鶏卵、合い鴨、鴨

●果実  柿、栗、りんご

●調味料  塩、砂糖、醤油、みりん、酢、味噌(白味噌、三州味噌、赤味噌、甘味噌)、油(ゴマ
油)、バタ、からし、山椒、七味唐辛子、陳皮、しょうが

●粉物  うどん粉、 葛粉、パン粉

●漬物  たくあん、味噌漬、粕漬、うりの鉄砲漬、早漬(小かぶ、きゅうり、なす、キャベツ)、梅干
し、ぬか漬、らっきょう、しょうが酢漬、奈良漬、紅しょうが

●びん・缶詰  筍の缶詰、グリーンピース缶詰、松たけ缶詰、鯨(くじら)びん詰

●調理用具  七輪、蒸籠(せいろう)、すり鉢、ざる、玉子焼鍋、金網、焼き鍋、フライパン、裏濾
(こ)し網、冷蔵函(ばこ、氷を用いる冷蔵庫)

料理用の火力としてガスが都市の一般家庭でも使われるようになったのは、大正12年の関東大震災後のことといわれる。9月1日午前11時58分という昼食時だったため、昼食を準備していた各家庭のたきぎのかまどや炭を使う七輪が火元となって各所で火災が発生したといわれ、震災後はスイッチをひねればすぐ消せる安全性がかわれてガスコンロ(ガス七輪といった)が普及した。

料金は東京ガスの場合1㎥当たり大正8年に8銭だった。


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