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食の大正・昭和史 第三十一回
2009年06月24日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第三十一回

                              月守 晋


●手間をかけていた家庭料理(2)

野鳥食については中江百合『季節を料理する』(昭和41年/旺文社文庫)でも取り上げられている。

この本の著者は略歴によれば明治25年の生まれ、16歳で中江家に嫁ぎ料理研究を始めた、とある。

初版本は『日本料理十二か月』のタイトルで昭和34年、東京創元社から刊行されている。

この本では「2月の献立」として「雀(すずめ)のたたき煮」、「四季の一品 冬の一品料理」として「鶉(うずら)のたたき」が紹介されている。

「雀のたたき煮」の材料は、

 ・雀10羽  ・だし カップ4分の3  ・砂糖 大さじ1~2  ・醤油 大さじ2 
 ・大根おろし カップ1と2分の1  ・長ネギ 2本

料理法は雀の羽根をきれいにむしり、残った毛を焼き取り、腹の下からはさみを入れて断ち、臓物を取り出す。食べられる部位(肝など)と食べられない部位を分け、食べられる内臓、骨つき肉を庖丁でよくよく叩いて指先でさわってもざらつかないほどに叩いたら、ひと口大の団子に丸めて煮立たせただしに放り込む。よく火が通ったら砂糖、醤油を加えてひと煮立ちさせ、大根おろしを加えてさらにひと煮立ちさせて火を止める。これを大根おろしも煮汁も共に深鉢に取り、上から6センチに切ったさらしねぎをふりかける。

「鶉のたたき」のほうは、丸々1羽の鶉が材料だ。雀と同じように処理したものをよく叩いて、3分1を残し、3分の2をから炒(い)りし、残した生の3分の1と混ぜ、これをぬれ布巾の上でかまぼこ型にまとめ、強火で
40分蒸してできあがり。

かまぼこ型にまとめず、いきなり団子に丸めてだし汁で煮てもよく、これは“鶉の丸(がん)”と呼び最上の椀種になる、とある。

『食いしん坊』という食べ物随筆がよく知られている作家・小島政二郎に『舌の散歩』という著作がある(昭和34年6月~11月「サンデー毎日」連載)が、これには太平洋戦争前の名古屋の腰掛け飲み屋「大甚(だいじん)」のメニューが紹介されていて、その30品ばかりの品数の中に“焼き鳥(スズメ)”が入っている。

筆者が学生の頃、昭和30年代の初めの頃にも東京新宿の紀之国屋書店の裏通りに、雀の丸焼きの焼き鳥を酒の肴に出す店があった。学生の身分には高価な店だったのでついぞ入る機会はなかったが、スズメやツグミなどの野鳥を、たぶん特別の許可を取って出していたのだろう。卒業する頃には店はなくなってしまっていたと記憶する。

こうした少ない例をあげても、野鳥を食べる食習慣は全国的にあったと思えるのだがしかし、神戸市をふくむ兵庫県全域を見ても、野鳥食があったかどうかは分明ではない。

『伝承写真館 日本の食文化⑧近畿』(農山漁村文化協会発行)の「兵庫の食とその背景」に紹介されている「兵庫の食を支える農畜産業」の節の「風土性による調査地域の特徴(昭和初期)」の一覧表中で、「野の幸・山の幸」として播磨山地の覧で“野うさぎ、蜂の子”があげられている。

兵庫県は北は但馬海岸が日本海に向き合い、南は瀬戸内海を抱いていて豊かな多種多様の魚介類に恵まれている。そのうえ三田(さんだ)牛、但馬牛などの肥育牛、いわゆる“神戸ビーフ”の産地でもある。

わざわざ雀や鶉などの野生の小鳥を食用に捕えようなどという考えははたらかなかったのかもしれない。


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