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内田魯庵
2009年10月15日

24. 「左の手を突いてチョコレートを啜(の)んでゐた加壽(寿)衛は軽く頭を上げて、
     「妾(わた)くし、一生獨(独)身と定めてますの。」」

------- 『「破調」 / 社会百面相』 内田魯庵
 

内田魯庵(ろあん)は明治20年代から大正末まで評論、翻訳、小説、随筆の分野で活躍した文人です。翻訳家としては明治25~26年にドストエフスキーの『罪と罰』2巻を内田老鶴圃から刊行していますし、トルストイやアンデルセン、ディケンズ、ポー、デュマ、ゾラなどの作品を翻訳紹介しています。

魯庵は慶応4年生まれの江戸っ子で、父親は東照宮の警固を勤める御家人でした。この父親は幕府瓦解後、維新政府の下級官吏に転身しますが、地方勤務のため息子魯庵、本名貢(みつぎ)は親戚にあずけられ、築地にあった立教大学でフルベッキらに英語を学びます。大学予備門や東京専門学校にも入りますがいずれも中退、彼の卓越した英語力は結局、図書館を利用して独学で得たものでした。

「破調」を収録した『社会百面相』は現在、上下2巻の岩波文庫で読むことができますが収録されている上下巻30編、下巻7編、計37編は明治33~34年間に24編は週刊誌「太平洋」に、その他は雑誌「太陽」などで発表されました。

これらの作品は当時盛んに書かれはじめていた「社会小説」と呼ばれていたジャンルに属するものですが「労働問題」「官吏」「教育家」「新高等官」「閨閥」などという題名を見れば、書かれた意図を察することができるでしょう。

「破調」はヒロインの友成加寿衛と2人の青年紳士のラブ・ストリーです。加寿衛はヰオリン(ヴァイオリン)の名手で現代的な美人。自転車を乗り回すほどのお転婆でもあるという設定。

この物語が発表された同じ年の明治33年、新聞で“自転車美人”と話題になった女性がいました。後年“世界のプリマドンナ”と呼ばれた三浦環の17歳の時のお話で、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)へ自転車で通学していたのです。この頃、自転車は輸入でしか入手できない高級品でアメリカ産が200円から250円していました。なにしろ東京神田で学生の食事つき下宿代(4畳半)が月額9円50銭から6円50銭という時代ですから超高額です。

さてその加寿衛にことのほか関心を寄せるのが“新ローマンチシズム”の作家春村とその友人木島。

しかし加寿衛を巡るロマンスは発展しません。彼女はパトロンの花咲侯爵夫人に縁談をすすめられた数日後に姿を消してしまいます。そして春村も。

冒頭の一節は花咲邸で接待を受けている場面。板チョコではなくドリンキング・チョコレートを喫しているところで、この頃上流社会では流行っていたとみえます。

ところでドリンキング・チョコレートについてはブリヤサヴァランの『味覚の生理学』に、「うまいショコラを飲みたいなら、一夜前に陶器のコーヒーポットで作らせてねかせておきなさい。するとビロードの舌ざわりが生まれる」と書いてあるそうですよ。


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