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食の大正・昭和史 第六十五回
2010年02月24日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第六十五回

                              月守 晋


●『割烹指導書』の中の洋食と中華料理

大阪府の家政研究会が編集した『最新割烹指導書』(後編)には第1学期第1課で西洋料理の朝食としてホットケーキ、オートミール、ハムエッグ、りんごの砂糖煮、コーヒーが取り上げられ、第4課で昼食としてライスカレー、サラダ、いちごのゼリー、いちご水が、晩餐の西洋料理として第2学期第8課でコンソメ、ビーフステーキ、パイナップルババロア、スポンジケーキという献立が組まれている。

以上の他にも後編では次のような洋食が上がっている。

第5課 病人料理
ポタージュ (野菜スープ) ボイルドライス
ポタージュはゆでて裏ごししたばれいしょ500gを牛肉のスープストック200gでゆるめ、2dℓの牛乳を加え火にかける。食パン50gをさいの目に切って(耳を除く)バタでいためスープ皿に入れ、熱くなった前のスープを注ぐ。

ボイルドライスは250gの米を柔らかめの飯にたき、塩で味つけした後牛乳2dℓを加えて煮込み、さらに泡立てた卵1個をかけて半熟の頃合いに供する。

小泉和子『ちゃぶ台の昭和』(河出書房/02年)に、「戦前(太平洋戦争前、1940年前)に一般に洋食がどのくらい普及していたかをみるために、大正5(1916)年から昭和15(1940)年までの女学校の教科書9冊を調べてみたら、朝昼晩の献立90例のうち洋食はわずか8例」だったという記述がある。

その内容は「魚のフライ2例、オムレツ、ハムエッグ、ビフテキ、ライスカレー、チキンライス、豚肉のカツレツ」だった。

『最新割烹指導書』(後編)には既述の他にもドーナツ(シナモン味/第11課)、タピオカのポタージュ、フィッシュ・フリッター(鯛)、ローストビーフ(ブラウン・ソースも)、アップルパイ(以上第12課)、クラムチャウダー、チキンカツレツ、シュークリーム(第19課)を実習することになっている。

さらに「付録」のページにもチキンライス、ハッシライス(ハヤシライス?か。作り方は「ライスカレーと同様」とある)、ロールキャベツ、パイ(魚、肉、野菜、果物)、ワッフル、ビスケットが取り上げられ作り方が簡単に説明されている。

結局、前編では西洋料理が5種、デザート2種、飲料1が取り上げられ、後編には料理が15種、デザート・ケーキ類9種、飲料2種の作り方が解説されていることになる。

小泉の調査に比べると料理の数だけでも2倍強もあり、ケーキやパイ、ソースの作り方まで取り上げられているので当時の教科書としては画期的なものだったろう。これは“高等”女学校用だったということが関係しているのかもしれない。

神戸では大正時代に元町通りと栄町通りの間に中国人の商店が多く俗に南京町と呼ばれ、当時5千500人といわれた中国人の台所を支えていた、という(『目で見る大正時代』国書刊行会)。

志津さんの口からもよく「南京町で・・・」ということばが飛び出したが、志津さんのシナ(中国)料理は“肉まん”がせいぜいだった。

しかし『最近割烹指導書』では後編13課と17課で支那(シナ)料理を学ぶことになっている。

第13課では八宝湯円(豚肉団子の清まし汁)、鶏巻(鶏肉のミンチを“豆腐皮”で巻く、と説明されているが“ゆば”のことか?)、チャーハンを作る。

第17課では鯉の丸あげ、エビ団子の揚げ物、山芋のあめ煮を実習する。

付録にもはまぐりのスープ、八宝豆腐、海参(なまこ)のスープ、えびと青豆のいため物、細切り豚肉のいため物(炒肉絲)、シュウマイ(焼売)など10種の料理法が載っている。


さくらももこ
2010年02月24日

33. 「……私の手にチョコレートを持たせると、彼女は再び今来た道を……」
    

   「バレンタインデーのこと」/『ももこの話』さくらももこ/集英社文庫

さくらももこの名は「ちびまる子ちゃん」の漫画と共に北の端から南の端まで、日本国中にあまねく知れわたっています。

『ももこの話』はそのさくらももこの9冊目(だと思う)のエッセイ集です。文庫本の帯には「あのころ、まる子だった、ももこの話 3部作③」とあります。

つまり『ももこの話』はさくらももこが自分の子どものころを思い出して書き留めた3部作の3冊目というわけですね。

『ももこの話』は「食欲のない子供」に始まって「春の小川の思い出」に終わる15編の“思い出話”集で、「あれっ、これは私のことを書いたんじゃないの!?」と思わず頭を上げて周囲をきょろきょろ見回してしまう人も少なくないかも知れません。

「バレンタインデーのこと」は小題どおりバレンタインデーに小学5年生だったももこが体験した話です。

ももこがバレンタインデーなどという日のあることを知ったのは小学校五年生の冬でした。それまでは、2月の行事といえば「建国記念日」と「うるう年には1日多い」ということを知っているだけでした。

友人に説明させてどんな日だかを知ったももこは「なんて都合のいい日が男子には用意されているんだろう」と「遅ればせながら驚い」たのですが、「好きな男子に好きですよなどと絶対に言えないタイプ」のももこは「チャラチャラと、好いたホレたなどとたわけた事をぬかして、男子なんかにチョコをあげるなんて、そんなみっともないこと私にできるかよ」という態度でした。

バレンタイン当日、「絶対にもらえそうもない風貌の男子」や「絶対フラれそうな風貌の女子」までが色めきたち、休み時間にはろうかをうろうろする多数の女子や教室でそわそわする男子やチョコをもらってニヤニヤする男子を観察しながら、つき合う気もない女の子からのチョコなんかキッパリ断るべきだと思いながら、サッサと帰ることにして急ぎ足で歩いていたももこを「お姉さんっ」という声が呼び止めます。

声の主はいつもももこが面倒をみている下級生の女の子。女の子はももこの手にチョコレートを持たせると、今来た道を逆方向に走り去ります。

家に帰って家族に一部始終、話をすると「それはすぐ何かお返しをしたほうが」ということになって、ベストをつくしてキティちゃんのハンカチを渡すという展開になります。

今年は自分への「ごほうびチョコ」が多かったということですが、あなたのバレンタインデーはどんな日でしたか。


食の大正・昭和史 第六十四回
2010年02月17日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第六十四回

                              月守 晋


●高等女学校の『割烹指導書』後編(2)

前回は第1学期第1課で習う「西洋料理」の朝食を紹介した。
西洋料理の昼食を習うのは第4課で、献立は「ライスカレー、サラド、ストロベリーゼリー、ストロベリー水」である。

まずはライスカレー。

<材料>
・飯 米350g 水5dl(デシリットル)
・掛汁 バタ10g カレー粉7g(大さじ1) メリケン粉15g(大さじ2) スープ5dℓ 塩4g 
胡椒少々
・具 人参100g グリーンピース75g 馬鈴薯100g 鶏卵300g(6個)

<作り方>
適宜の大きさに切り塩・胡椒をした牛肉をバタで色づくまでいためて別の器に取り置き、後に野菜を入れてよくいためる。次にメリケン粉とカレー粉を加えて充分にいため、色がついたら作り置きのスープ(煮出用牛肉200gを細かく切り1ℓの水が半量になるまでとろ火で煮つめる。前編第18課で既習)で徐々にのばし、最初にいためた牛肉を入れてしばらく煮込んだ後塩・胡椒で味をととのえる。これを皿に盛った温かい飯にかけ、卵を1個ずつ割って入れ供する。

取り合わせの「サラド」は「ストロベリー、キュウリ、ばれいしょ、レタス」のサラダで「オリーブ油中さじ4、西洋酢中さじ2、塩少々」を鉢でよく混ぜ合わせた「フレンチドレッシング」で食する。

デザートの「ストロベリーゼリー」にはゼラチン40g(約10枚)を使う。また「ストロベリー水」は布巾(ふきん)でイチゴをしぼってジュースにするもの。冷水で薄めて砂糖を加える。

ちなみにわが国最初の民間の日本語新聞「海外新聞」を慶応元年に創刊した岸田吟香は明治9年にレモン水を発売して評判になった。明治政府の勧業寮はアメリカからイチゴの種苗を同8年に輸入しているのだが、39年に初物のイチゴ1粒が5銭もした。東京で盛りそば1杯2銭というころの話である。

西洋料理を「晩餐(ばんさん)」として実習するのは第2学期の最初の時間第8課においてである。

第8課で実習するのは「コンソメ、ビーフステーキ、パイナップルババロアン、スポンジケーキ」という献立である。

<コンソメの材料>
牛肉200g 玉ねぎ80g 人参80g 甘藍(キャベツ)1枚 グリーンピース50g(3分の1缶) 水1.5ℓ  塩少々 胡椒少々

<作り方>
1 牛肉を細かく切り水にひたしておく
2 野菜を2~3切れに大きく切っておく
3 グリーンピースに熱湯をかけておく

牛肉とひたした水をとろ火にかけ、煮立ってきてあくが浮いてきたら手早く取り、野菜を入れて半量になるまで煮詰め、塩・胡椒で味をつける。鍋を火から下ろし、牛肉と野菜をこし取る。こし取った人参をあられに切りグリーンピースと共に皿に盛りスープを注ぐ。

ホテルなどで現在出されるコンソメスープは何日もかけて煮込んで野菜と肉のうま味を引き出すようだが、この実習のスープが2時間という制限時間内の仕上げになるのはやむをえない。

北海道で開拓使がキャベツや玉ネギを初めて栽培したのは明治4年のことだが、キャベツは明治30年代の終わりころにはふつうの野菜として八百屋で売られていたという。生で食べても火を通してもおいしく食べられるので重宝されたのだろう。

ちなみにキャベツの千切りがつきもののカツレツは東京銀座の煉瓦亭(れんがてい)が明治32年に発案したものという。40年代末には家庭料理として定着していた。


食の大正・昭和史 第六十三回
2010年02月10日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第六十三回

                              月守 晋


●高等女学校の『割烹指導書』後編(1)

『割烹指導書』後編は高等女学校の最終学年となる5年生が前編と同じように隔週1回2時間の実習を1年間つづけると、卒業後すぐ結婚しても十分一家の主婦がつとまるよう編集されている。

内容は一般的な庶民の家庭というよりも中流以上、月収が130円を超える程度の余裕のある5人家族の家が想定されているのではないかと思われる。

ちなみに昭和8年の都知事の年俸が5300円、月額440円余りであり公立小学校教員の初任給は月額40~55円、大工の手間賃は1日わずか2円だった(上記数字の出典は『物価の文化史事典』)。

さて、下巻の第1課は「西洋料理」の朝食で内容は次のとおりである。

・ハットケーキ(表記は原本のまま)
・オートミール
・ハムエッグ
・林檎(リンゴ)砂糖煮
・コーヒー

ホットケーキの材料は

メリケン粉200g  玉子100g(2個)  焼粉(ベーキングパウダー)5g  砂糖80g  牛乳1デシリットル(100cc)  バタ40g  砂糖蜜0.5デシリットル

材料がそろったらまず生地を作る準備。

1 メリケン粉を3~4回ふるいにかける
2 摺り鉢に卵黄を入れ、砂糖をふるいながら加え、摺りこ木でよく摺り混ぜる
3 卵白を泡立てておく

・作り方

準備2の摺り鉢に牛乳を加えてよく混ぜ、次に1のメリケン粉をさらにふるいながら入れて軽くかき混ぜ、3の卵白と焼き粉を加えてさっと混ぜ合わせる。

ホットケーキパン(フライパンでもよし)を火にかけ、バタを引き、上記の生地を金杓子ですくい、適当な大きさにひろげて焼く。

温かいうちに砂糖蜜をかけて供す。

お読みになればおわかりのように、このころはホットケーキ1枚焼くのにもずいぶんと手間をかけていたのだ。いまは小麦粉に砂糖や麦芽糖、ショートニング、コーンスターチ、食塩、脱脂粉乳、植物油脂その他もろもろを加えて調合した「ホットケーキミックス」をスーパーあたりで買ってきて、牛乳と卵を割り入れてフライパンで焼けば簡単に出来上がる。

簡単で便利といえば便利だが、味気ないような気もするがどうだろうか。

この朝食メニューで注目されるのはオートミールである。オートミールは燕麦(えんばく)のおかゆだ。これも現在はインスタント食品として容易に手に入る。しかしこの指導書では二重鍋で煮ることになっているから、オートミール用にひき割りした燕麦がデパートや西洋食品専門店などで売られていたのであろう。

さて、次はコーヒー。覚めやらぬ脳髄に活気を与えるために濃いめのコーヒーは良い選択だが、この指導書ではどうやら煎(い)ったコーヒー豆を豆のまま使うらしい。指導書の解説文をそのまま引用すると、
「コーヒーポットにコーヒーを入れ、熱湯を注ぎて火に掛け、沸騰したる時直ちに火よりおろしてコーヒーカップに注ぎ、・・・・・・」
とある。

これを読んで思い出すのは学生のころ観たアメリカ映画の西部劇である。夜になって野営をするカウボーイたちが焚き火の上にやかんを掛け、コーヒー豆をひと握りほうり込んで沸くのを待つ。

高等女学校生がポットに入れるコーヒーは30g、大さじ5杯分のコーヒー豆である。「豆」と断定した理由は「但し粉末コーヒーを用ふる時は分量を減ずる事」とわざわざ注意書が入っているためである。


米原万里
2010年02月10日

32. 「ウェハースをチョコレートでコーティングした人気菓子の名「ミーシカ」とは熊の愛称。」
    

       ------------------------------『旅行者の朝食』米原万里 

「ジョークと小咄(ばなし)は、ロシア人の必須教養」だと米原さんは断言しています。さらに「平均的なロシア人ならば少なくとも五百ほど、どんなに生真面目優等生タイプの人であれ、最低三百ほどの小咄の蓄えがなくては一人前扱いされない。」とも。

米原さんはお父さんの仕事の関係で1954~64年までプラハのソビエト学校で学び、その後東京外国語大学ロシア語科を卒業、さらに東京大学大学院でロシア語・ロシア文学修士課程を修め、80年に創立されたロシア語通訳協会の初代事務局長、さらには会長を3年間務めたというロシア語の大専門家。

その米原さんが長年、なぜそのフレーズを耳にしたとたんロシア人がみな「クックック」「ウフフ」、ユサユサとお腹を揺すらせて笑うのかわからなかったことばがありました。

それが「旅行者の朝食」。

この言葉になぜロシア人が“過剰反応する”のか、その謎はモスクワ大学の先生から聞かされたたった1つの小咄で氷解します。

それはどうやら「中味よりも、缶に使われているブリキの品質が上等なので日本の商社がそのブリキ目当てに買いつけるらしいという噂の缶詰」の名称だったのです。

それはとりもなおさずその中味が猛烈にまずい、ということ。

いったいどれほどまずいのか、是非とも賞味したいと思っていた米原さんはあるときロシアに出張した折に、スーパーマーケットで実物を発見します。

「旅行者の朝食」は1種類だけではなく、牛肉ベース、鶏肉ベース、豚肉ベース、羊肉ベース、魚ベースと結構な品ぞろえ。

その中身はというと「肉を豆や野菜と一緒に煮込んで固めたような味と形状」をしているが「ペースト状ほどには潰れていない」、ちょうど「犬用の缶詰」によく似ていたのでした。

米原さんが「旅行者の缶詰」のエッセイをある企業の宣伝誌に書こうとした98年には、もうモスクワの街から姿を消していたそうで、後に残ったのは、

ある男が森の中で熊に出くわし聞かれます。

「お前は何者だ?」

「私は旅行者ですが」

「いや、旅行者はおれだ、お前は旅行者の朝食だよ」

という、まあたわいもない小咄だったと。

かつてロシアの食べ物のまずさは有名な事実で、いろいろな人がそのことに触れていますが、米原さんの発見した「大当たり!!」の安くてうまい掘り出し物の缶詰は「鱈(たら)肝の缶詰」で、グルメを自称するフランス人が「このフォアグラ、かなりいい線いってるよ」とコメントしたほどだそう。


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