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食の大正・昭和史 第七十五回
2010年05月12日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第七十五回

                              月守 晋


●京都の新居

昭和6年6月、“山崎の小父さん”宅で広島県出身の哲二と仮祝言を挙げた志津さんが結婚生活をスタートさせたのは京都であった。

住まいは当然のことながら借家で、それも三軒長屋のうちの1軒だった。長屋というのは文字通り長い建物を壁で仕切って借家にしたもので、表通りに面さない裏長屋がふつうであった。広さも間口が9尺(約2.7m)、奥行きが2間(けん、1間は6尺、1尺≒30cm)と狭く、前に入口と台所を兼ねた土間、その奥に1部屋の気取って現代風にいえば1Kという借家である。

トイレは共同トイレ、水道は引かれておらず井戸を共同で使う。しかしありがたいことに志津さんたちの長屋は部屋がもう1部屋奥についていて2部屋あった。

しかも家賃が月50銭と格安だった。

これにはわけがあって、哲二は当時京都市営の路面電車の修理工場で働いており、市電の七条千本の停留所に近い「すずめ寿司」で朝晩の食事の世話を受けていた。

ほとんど毎日顔を見せて店の賄い料理を食べ、月々の支払いをきちんとする哲二を店主は信用し何かと世話をするようになっていた。哲二が結婚すると聞いて、地元の事情にくわしい店主が伝手を頼って探し出し斡旋してくれたのである。

志津さんの話では「このあたりは朱雀御坊のあったところ」だという。

現代の京都の市街は基本的に8世紀末に創建された平安京の設計プランが生きている。基盤の目のように整然と区画された平安京の中心に大内裏(だいだいり)の朱雀門から真っすぐ南の羅生門(らじょうもん)まで朱雀大路が通じていた。現在の千本通りである。大内裏を背にして右手を右京、左手を左京と呼んだのである。

朱雀は都を守護する四神の一つで南の方位をつかさどり、鳳凰(ほうおう)の姿であらわされる。ちなみに北方をつかさどるのが亀であらわされる玄武(げんぶ)、東方が青龍であり西方が白虎である。

「朱雀」の名称は現在も地名として残っている。七条通りの北側、山陰本線の西側の中央卸売市場や新千本通り、七本松通りにはさまれた一帯である。幕末ころの地図にはこのあたりに「朱雀村」の名称が記されている。

現在市販されている京都市街図を見ると、新千本通りが七条通りに突き当たる七条新千本の信号機を西へ100mほど行ったところに「七条千本」というバス停があり、さらに西へ200行くと七条七本松の信号機、その南に権現寺がある。地図によってはこの権現寺に並んで東側に「朱雀御坊」の名と卍の印を落し込んであるものがある。

志津さんのいう“朱雀御坊”がこれかもしれない。

「坊(ぼう)」は方形に区画された土地のことだが、「寺」の意味でもある。「坊門」はまちの門のことだし、僧侶の住まいを「僧坊」という。

哲二・志津の新婚夫婦が住むことになった長屋はかつて、「朱雀御坊」で雑用に従事していた人たちの住居に当てられていたのかもしれない。

≪参考≫『京都時代MAP』新創社編/光村推古書院


星野知子
2010年05月12日

38「引率のおばさんと、シャイでおとなしい少年も一緒にキャラメルやチョコレートを食べると、ギクシャクした雰囲気が次第になごんできた。」
    

   『トイレのない旅』星野知子/講談社文庫

NHKの朝のTV連続ドラマ「なっちゃんの写真館」でデビューした女優星野知子はその後、ドキュメンタリー番組のリポーターとしても活躍しはじめました。そしてその時の旅の出発時から帰国するまでの一部始終を秀抜な文章にまとめて高い世評を受けました。

『トイレのない旅』はそうした1冊で、シカン文明の遺跡を訪ねるペルーへの旅、辺境の少数民族のくらしの現状に触れた中国・雲南省への旅、雁の渡りの研究者を取材したシベリアへの旅それぞれのドキュメントです。

冒頭の一節は1992年にシベリアの大湿原で雁の渡りを共同研究することになった日ソの学者グループの研究現場を取材した時のもの。

この旅は御難つづきでまずハバロフスクの飛行場に迎えに来ているはずのコーディネーターが来ていません。カートがないため40個568kgの機材・食料を全員汗まみれになってバスへ運び込むのに2時間もかかってしまいます。

チェックインに1時間もかかったホテルではぬるく塩辛いボルシチにパサパサのパン、油臭いイクラに固いシシカバブ、みずみずしいキュウリだけが取り柄の食事の10人分の代金5500ルーブル/40ドルに、4倍以上にもなる170ドルを請求される始末です。

朝4時半出発予定の飛行機は13時間遅れでやっと飛び立ち2時間後に中継地のマガダン空港に到着しますが、1時間後に出発予定の次のフライトはまたしても大幅に遅れ実際に出発したのは翌朝7時。

実質4時間のフライトに28時間もかかったわけは、どうやら燃料のガソリンが調達できなかったためらしいとわかります。

さて「引率のおばさんと、シャイでおとなしい少年」は、一行の中の1人がロシア語ができないのにどう意思を通じさせたのか、目的地が同じだと知って、勝手に引率者に選んでしまったという2人で飛行機の出発を待つ間ポケットに入っていたお菓子を分け合って食べたという場面。

おなかに何かを入れることができ、空腹をやりすごすことができれば腹を立ててはいられない、というのはどこの国の人でも同じだというわけです。

さて星野さんはタイトル通りにシベリアの大湿原ではあり合わせの木を4本立て、帆布を壁代わりに釘でうちつけた電話ボックスほどのトイレを使い、中国雲南省の農村ではコンクリートの床に穴をあけただけ、仕切りも屋根もない公衆トイレを経験し、シカン文明遺跡の発掘現場では、人目を気にしなければどこでもトイレにしてもよい、ただし藪蚊を避けることができれば、ということを学んだのでした。


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