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小川洋子
2010年06月16日

40「どうしてこんなにおいしく、チョコレートを食べることができるのだろうと、自分で自分を不思議に思った。」
    

   『アンネ・フランクの記憶』小川洋子/角川文庫

映画にもなり、ベストセラーになった『博士の愛した数式』の作家小川洋子が『アンネ・フランクの日記』に初めて出会ったのは中学1年の時で、学校の図書館でした。

「言葉とはこれほど自由自在に人の内面を表現してくれるものかと驚いた」小川さんはすぐに、アンネの真似をして日記をつけはじめます。

28歳の時、雑誌「海燕」の新人文学賞をえて作家として認められるようになり、3年後の1991年「妊娠カレンダー」で芥川賞を受賞、その後も次つぎに重要な話題作を発表しつづけているのですが「なぜ書くことにこれほどの救いを感じるのか、改めてじっくり考えてみて」、言葉で自分を表現することを教えてくれた『アンネの日記』に思いいたります。

1995(平成7)年6月30日、「今でも生きて、言葉の世界で自分を救おうとしている」小川さんはそのきっかけを与えてくれたアンネ・フランクに感謝し「彼女のためにただ祈ろうと願うような思いで」アンネを訪ねる旅に出ます。

その直前に『アンネの日記 完全版』が出版されて旧版で形づくられていた“純真でかわいらしい”アンネ像が破られます。 完全版には性の問題もふくめて「アンネの人間臭さ、激しさ、心の奥の暗闇」も記されていたのです。

小川さんがオランダへ向けて成田から飛び立ったのは1995年6月30日でした。 アムステルダムのホテルには夕方に入り、この旅のコーディネーター兼通訳の女性と打ち合わせをします。

アムステルダムではアンネのユダヤ人中学時代の友人でヨーピーと呼ばれていた人と、アンネの父親オットーの会社に勤め、一家が隠れ家ぐらしを始めると食糧や本などを運んで支援したミープさんの2人に会います。

ヨーピーは『アンネとヨーピー わが友アンネと思春期をともに生きて』を、ミープさんは『思い出のアンネ・フランク』を出版していて共に日本でも翻訳出版されました。

小川さんはアンネとかかわりのあった人たちばかりでなく一家の隠れ家、学校、住まいの近くの広場、アイスクリーム屋などをくまなく訪れ7月5日、ポーランドのアウシュビッツの強制収容所へ入ります。

冒頭の文章は翌7月6日にウィーンで記されたものです。 アウシュビッツを離れるタクシーの中で、小川さんはチョコレートバーを一息に全部食べ、ミネラルウォーターをもらってごくごく飲んだのです。


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