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吉田健一
2009年03月18日

11. 「第一日に銀座の喫茶店でチョコレートのソフトアイスクリームを5つ食べ・・・・・」
------- 吉田 健一 「饗宴」


この「饗宴」には現実にくりひろげられた饗宴ではなく、頭の中で可能なかぎり想像力を働かせた結果の饗宴です。どういう状況に置かれている人物なのかというと、胃潰瘍(いかいよう)とか回復期のチフス患者などで、1日に牛乳5勺(しゃく=0.018ℓ、10勺で1合)と麦湯1杯という食事制限が10日もつづいているような人物という設定なのです。(チフスはジフテリアや日本脳炎などとともに法定伝染病に指定されている
11種類の伝染病のうちの1つです。)

胃潰瘍やチフス回復期の病人がもっとも苦しめられるのは、「いても立っても、じっと寝てさえもいられなくなる」ほどの空腹感なのだそうで、それを「想像力を働かせて辛い思いをしているのを紛らわせる」のが有効だというわけです。

吉田健一がこんなことを思いついたのは、アイルランド人の南極探検家シャックルトンが何回目かの探検で、ある離れ島の岩穴で救出を待つはめに陥った。そのとき飢えのあまりに気が変になる隊員がいた一方で、なんなくやり過ごすことのできた隊員もいた。その隊員は毎晩、ものすごいご馳走の夢を見つづけることで乗り切った。つまり、想像力を働かせて辛い思いを紛らせたのだ、というのです。

絶食同然という状況を仮定して、吉田はまず日頃は入ったことのない汁粉屋から空想を開始します。

その汁粉屋には「如何にもこってりした感じの」田舎ぜんざいや、「重箱におこわを詰めて隅に煮染めが添えてある」のや、「松茸と鳥肉の雑煮」などがあり、まずぜんざいを頼み、甘ったるくなった口中を雑煮で直し、その後でおこわを食べ、「少しは何か食べたような気持になる」のです。

しかしこれくらいで満足できるわけはないし、知らない店のことばかり考えていても空想力が鈍る恐れがあるからと、次には円タクを飛ばし新橋駅前の小川軒に入ります。この店は吉田の行きつけの店で、まずオムレツ、次にオックス・テエルのソオスのチキンカツを2人前、さらにマカロニとトマト・ソオスで牛の肝を煮たものなどと想像力を働かせます。

さてこのエッセイ「饗宴」のきっかけになったと覚しい吉田の胃潰瘍を患った友人の話では、外出を許されるようになるとアイスクリイムくらいなら口に入れてもよいという許可が出るそうで、そうなったら「銀座の喫茶店でチョコレートのソフト・アイスクリームを5つ食べる」と冒頭の一節につながるわけです。

この珍奇な空想談がさらに一段と迫力を示しはじめるのは「コットレット・ダニヨオ・オオゾマアル・トリュッフェ・オオズイトル・フリト・マロン・シャンティイ」という長ったらしい料理に話が及んだあたりからでしょう。この世にグルメ、グルマンの“食の本”は多数ありますが、奇抜なという点ではまず屈指のエッセイです。


《参考》 「饗宴」 吉田健一 (文春文庫『もの食う話』所収)


食の大正・昭和史 第十九回
2009年03月18日

『食の大正・昭和史---志津さんのくらし80年---』 第十九回

                              月守 晋


●神戸市の米騒動(2)続き
神戸市の米騒動で放火・破壊・強迫・強奪などの被害を受けた件数は各警察署別に次のとおりだった(『神戸新聞による世相60年』/のじぎく文庫)。

       三宮署管内       179
       相生橋署管内      148
       湊川署管内       200
       兵庫署管内       167
      ----------------------------------------------
               計     694 (8月23日付同紙)

『新修神戸市史 歴史編Ⅳ』には「歴史と神戸」創刊号からの引用で「神戸米騒動受刑者職業別人数」が掲載されている。それによると最も多いのが職人で懲役5年以上27人、未満15人、罰金4人の計46人、仲士が18人、12人、4人の計34人、商業が16人、5人、1人の計22人などで、総計では5年以上の懲役が89人、5年以下懲役55人、罰金23人の総数167人だった。

騒動の鎮圧には警官のみならず、軍隊も動員された。13日の夜、当時の清野兵庫県知事の要請を受けて姫路師団の400名が第1陣として出動し、その後増員されて総計は1140名に達している。この頃、こうした騒動に軍隊が動員されるのは当然と考えられていたようである。

米騒動は神戸市に、市民の生活を安定させるための社会政策を立案、実施させることになった。それが米の安定的な廉売事業、公設食堂と公設市場の設置である。

その資金には皇室からの「窮民救済」のための下賜金、市内の富裕層からの救済義金などが当てられた。8月25日までに集まった義金は140万円に達し(大正7年の国の歳出額は10億1703万円/『物価の文化史事典』)、うち80万円が米の廉売資金に、50万円が物価調節費に、10万円が貧民救済費として使われた。極貧者への施米、官公吏・教員などへの米の廉売(1斤25銭)は11月末まで続いた。

皇室からの下賜金(2万6704円)に義金を合わせた3万5154円を基金として市内3か所に公設食堂が開設され、新たな寄付金を基に市営の小売市場が物価を調節することを目的として開かれた。

<公設食堂>
名 称 場 所 開設年月
中央食堂 相生町1丁目 7年10月
東部食堂 東遊園地内 7年11月
西部食堂 真光寺境内 8年2月

<公設市場>
中央公設市場 湊川公園内 7年11月
東部公設市場 旭通1丁目 7年11月
西部公設市場 芦原通5丁目 8年5月
(上記3市場は湊川、生田川、芦原と改称)
熊内公設市場 葺合町 9年5月
三宮公設市場 三宮町1丁目 9年5月
宇治川公設市場 北長狭通8丁目 9年5月
平野公設市場 大倉山公園下 9年5月
入江公設市場 川崎町 9年5月
長田公設市場 長田町1丁目 11年11月

『新修神戸市史 歴史編Ⅳ』に収蔵されている当時の東部公設市場の写真を見ると、店は木造の長屋建ての平屋で、その前の通りには現在のアーケード風にやはり木造の屋根がついていて買物客の日よけ、雨よけになっていて、市当局の市民に対する配慮をうかがわせている。

この項をもう1人の自伝を引用して締めくくりたい。

「それは暑い夏の日であった。どこからいうのでもなく私の家が襲われて焼かれるという噂が立った。・・・・私たち家族は近くの福海寺という寺に逃れ、そこの本堂の近くの十畳の部屋にかくまってもらったのであった」

筆者は明治42年神戸生まれ、映画評論家の故淀川長治さんである。(『淀川長治自伝 上』/中公文庫)


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