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藤沢 桓夫
2009年11月18日

26. 「……歩きながらそれを口に入れる。口の端にチョコレートがついていようが一向平気で、……」
    

------- 『心尽しのちらし寿司/大阪自叙伝』 藤沢 桓夫
 

上に掲げた文章の「……歩きながら」の場所は阪神の競馬場で、「口の端にチョコレートをつけ」て一向平気でいたのは菊池寛です。

「文芸春秋」という月刊誌をごぞんじでしょう。毎年2回授賞される文学の芥川賞と直木賞の受賞作品がこの雑誌に発表されます。芥川賞は芥川龍之介の業績を記念して設けられた賞でいわゆる“純文学”で将来を期待される新人作家に、直木三十五の名を冠した直木賞のほうは広範囲のジャンルの書き手の中から将来も長く多くの読者に読まれる作品を書きつづけていけるだろうと評価された作家から選ばれているようです。

この2つの文学賞を創設したのが菊池寛で、昭和2年7月に自殺した芥川とは学生のころからの、直木は三十二の筆名で「文芸春秋」創刊時からの筆者であり、共に長年の友人でした。「大衆小説」という名称は大作『南国太平記』の作家である直木の発案した用語だということです。(『東光金蘭帖』今東光)。

菊池寛は子供のようにすぐお腹をすかす人で、お腹がすくと他人の目などまったく気にせず食べ物を口に運んだそうで、慌てて食べるためか不器用のせいなのかしょっちゅう食べこぼしをして着ているものを汚しました。

食べ物に対しては独特の考え方をもち“天真爛漫”に振る舞っていたようで、藤沢と将棋を指していた時のエピソードが語られています。

将棋を指している間に、菊池が何度も席をはずし床の間の前で何かごそごそしている。「ははぁ、先生、また何か食べているんだな」と察した藤沢が「先生、何食べてるの」と尋ねると「ちらし寿司だよ。これがうまいんだ」という答え。「どこにも売っていない代物なんだ」というそのちらし寿司は、後年『二十四の瞳』を書いた壺井栄からのさし入れで、四国からの帰りの汽車の中で食べるようにと渡されたものだったのです。

「一度に食べてしまうのが惜しくなって、トランクに入れて」おいたそれを将棋の途中で床の間へ行き、2口、3口食べては将棋の席へ戻ってきていたというわけです。

「壺井さんが僕にくれた寿司だから、いかに美味しくても君に分けてやるわけには行かない」というのが菊池寛の弁明だったと書いています。

吉屋信子も京都の講演会で友人が差し入れてくれたおはぎを見つけた菊池が「ピチャピチャといくつも平らげ」たと回想しています(『私の見た人』)。

秘書であり、どうやら愛人でもあったらしい佐藤みどりが信じられないエピソードを紹介しています。寝台車で失ったとうろたえ騒いでいた入れ歯を、菊池寛が自分がはいている靴の中から「あったよ」と取り出したというのです(『人間・菊池寛』新潮社)。

通りかかった小林秀雄が事情を知って「信じかねるような顔で感心して」いたと。


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